COLUMN:PAST AND PRESENT of JAPAN BOXING #2
#2 タイトルと縁がなかった男
私が、10歳代後半に、岡橋勲というボクサーがいた。
SB川口ジムという、今はないジム(どうやら現在はK-1ジムのようだ)の所属であった。
そのジムには、まだ、ユーチューブで試合の映像を見ることができる、笠原優が所属していたと記憶している。
なぜ岡橋勲かというと、私が1958年生まれ、岡橋さんはたしか1957年生まれで年齢が近かった。プロボクシングは17歳がデビュー年齢。
彼は17歳でデビューしているはず。
そして私が知りえたころの彼の戦績が4戦4勝4KO(後述のVANカップ決勝戦前までの戦績)。
現在は健康上ストップが早く、TKOが増え、さほど珍しい戦績ではないが、当時はKO率の高
いボクサーは、そんなに、多くはなかった。
しかもフライ級で身長が170㎝近く。
長身でKO率の高いボクサーが当時から好きだったことから、彼の試合を追いかけるようになった。
当時、1970年代中頃には、新人王戦の前にVANカップ争奪戦という大会があった、60歳以上の輩にはお馴染みのVANとかJUNとかのファッションブランドのVANが主催する大会で、しかも会場が後楽園ホールではなく、青山にあったVANホールでの開催。
私は行ったことはないが、後楽園ホールより、かなり小さかったようだ。
当然、フライ級は、岡橋が優勝候補の最右翼だった。
VANカップ争奪戦で優勝し、新人王も取り、世界チャンピオンまでつながっているエリート路線に乗るものだと思っていた。
しかし、VANカップ争奪戦の決勝で松永優司に激戦の上、判定負け、東日本新人王戦も、決勝で牧公一に引き分けの敗者扱いで新人王になることができなかった。
牧は後に日本タイトルを獲得している。
と最初の2大会でつまずき、体重も増え、フェザー級まで上げたと記憶している。
現在井上尚弥の一階級上げることに対し、賛否が分かれているが、日本ランク下位程度の選手の階級上げは、厳しい状況だったと思う。
最終的に、角海老ジムに移籍し、日本フェザー級タイトルに挑戦したが、スパイダー根本に敗れ、夢はかなわなかった。
その試合が彼の最後のファイトとなったと記憶している。
現在は、福生市でボクシングジムを経営、新人王を輩出しているようだ。
彼の経営しているジムの繁栄と、彼の経営しているジムの選手の活躍を願っている。
NOBU
昭和40年ごろから後楽園ホールに足を運び現在もたびたび現場に足を運ぶ。
約50年で見てきた知識をすり合わせながら現在のリング事情を考察。
好きなボクサーはアレクシス・アルゲリョ、カルロス・モンソン。
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